#17 景色が視える曲には魅力がある【地元愛とかいうエモーショナルな曲】
休みの日は家に籠りっきりの生活に慣れてしまっていたある日、いつも通り仕事を終わらせて帰路に就くときにシャッフル再生で流れてきたとある曲。
それが『地元愛♡満タン☆サマーライフ』
今年の夏も沼津でパーッと遊びにいきたいなぁ~と思いながら聴いていたら、この曲って歌詞がめちゃくちゃ強いことに気づいてしまった…
これまで『地元愛♡満タン☆サマーライフ』(以下地元愛)は聴くと沼津や三津の海の景色が目に浮かぶから好きだなーくらいの気持ちだったけど、きちんと歌詞を吟味して聴いてみると、とんでもなくエモーショナルで情緒的な魅力あふれる楽曲でした
Aqoursの2ndライブを観たことがある人なら、この曲は楽しい雰囲気の楽曲だと感じてる人が大多数だと思うけど、一部のオタクにとってはそれと真逆を行く「泣き」の一曲になるかもしれない。そんな可能性を秘めた別の良さもあることに気づきました
今回は久しぶりに楽曲の歌詞にフォーカスを当てて、一体全体地元愛のどこがエモーショナルだと言い切るのか紹介してみたいと思います。
ぜひ歌詞カードを見たり歌詞を思い浮かべながら読んでください。
まず、この楽曲のサビ部分以外の歌詞は1.2番を通して曜と善子の2人の「夏に過ごす私たちの好きな海」というのが全面的に表現されているのがわかりますね
遠く続いてる海の先には どんな夏があるのだろう?
いつか確かめたい キモチもあるけれど
イチバンはこの場所って気がしてる
白いパラソルさしてお散歩 ちょっと憧れがあったんだ
だけど日焼けなんて 気にしないで歩こう
イチバンの私たちの浜辺
この1,2番の歌いだしの歌詞だけで沼津の海が一番だって言い切っていますね、これがほぼこの曲で言いたい結論ともとれるけど、ここはまだサビに向けてのストーリーの導入にあたる部分。
肝心の「何を理由にここ(海)が一番だと歌っているのか」をより受け取る側に想像させるためのジャブみたいなもん。ここからは典型的なワンツーパンチの流れなので、どんどん浴びていきましょう。
個人的には2人の「私たちはここにいるよ!」という投げかけパートみたいなイメージで聴いてます
ぱーっと派手じゃない? でもこの海は
ずっと私たちのコトを いつも見ててくれた
喜びも涙も知ってるの 昔からの浜辺
夕焼けの美しさ 絵はがきにしてみたいな
変わりゆくグラデーション 見とれちゃうんだ
きれいで切ないね
そしてサビ前。ここはある意味サビよりも鮮明に2人の”地元愛”を感じるところですよね…
この海が好きな理由が歌われてますが、大事なのは「派手じゃない」と歌っているところ。ここはホントにポイントです
一番の場所だと言っているのに派手じゃないとか言っちゃってます。普通はアピールポイントのひとつやふたつくらいあってもいいけど、えらく控えめですよね。
でも2人が大事にしたいのは見た目じゃなくて、ここで過ごしてきた時間(=季節)なんだってことがこの歌詞から伝わってきます。
楽しいときもつらいときも、ものこそ言わないけど、いつもそこにあった存在。
オレンジ色に染まる美しい水面と、楽しかった一日に終わりを告げる夕焼けの切なさ。実際にその場面を見たことがなくても、沼津の海の景色を知っている人ならきっと簡単に思い浮かべることができるんじゃないでしょうか。
一緒の夏はここで過ごそうよ
おやすみ気分で 寄せて返す波の声
一緒に聞きたいな のんびりするのもいいでしょ?
たまには息抜きしなくちゃ
砂をサクサク 踏みながらおしゃべりしようよ
ほらっ 地元自慢のサマーライフ
今度の夏も ここで過ごそうよ
行きたいところが思いつかないときはうちへおいでよ
なんにもしない夏もいいじゃない?
暑くて 頭クラクラしちゃう前に
サビ部分。ぜんぶ引用してしまうくらい良すぎて困るやつ
まず1番めの出だしが『一緒の夏』から始まるのは、この曲を聴いてるキミと過ごす夏を意味してるとわかると思うけれど、歌詞いいなーと思ったのは『ここで過ごそうよ』と歌ってるところです。
「ここに来てよ」とか、「ここにおいでよ」じゃないんですね。
一緒に同じ場所、同じ景色を共有することに意味があるんですね、これ
サビまでにこの海の好きなところを歌ってきたけど、実際に隣で「私たちが好きなこの季節を見てよ」と手を差し伸べてくれてるような感覚になりませんか?
波の音を”声”と言ってるのも詞的だし、ただただ純粋にのんびりとした夏を沼津で過ごすことが、曜と善子の2人だけじゃなくてAqoursみんながそれぞれ過ごしてきた夏を感じることができてすごく情緒的になれるのが良い…
それに、普段のしがらみとかぜーんぶ忘れてしまいたいときってあるじゃないですか。
冒頭で書いたように仕事でくたびれたときに流れてきたこの曲の『たまには息抜きしなくちゃ』って歌詞で思わずウルっときちゃったタチでした。
もう、ここの歌詞だけで「沼津いきてぇ…」ってなりましたわ。
そんな感じで、この曲って受け取る側が曲を通して伝えたい彼女たちの想いに入り込む隙間を作ってくれてる気がしてます。そこもこの曲の魅力でもありますね
続けて2番のサビでは「一緒の夏」から『今度の夏』に変わってるのも素敵だと思いませんか?
一度きりじゃなくてまたここに来て一緒に時間を過ごしたいと望んでいるところがイイ。
でも、実際に歌っているのは「目的地がないのならうちにおいでよ!」っていうニュアンスに奥ゆかしさのようなものを感じずにはいられないんでよね、これが。
「何も予定がないなら来てみてよ」とか、「のんびり過ごすだけでいいじゃん」っていうようなグイグイ推してはこないけど、来てみたら絶対楽しいから待ってるよっていう、どんな人でもここで私たちは待ってるよっていう感覚、素敵だと思いません?
どーしよっかなーって考えてたら夏の暑さにやられて動けなくなっちゃうから、それならおいでよっていうような、あどけなさの残る元気な少女像が残る歌詞の表現もすごくGOOD。
そしてラスサビ。
空がキラキラ 目を閉じてもまぶしい渚が好き
地元愛♡満タン☆サマーライフ
この歌詞は個人的にめちゃくちゃ好きで、この曲の真髄だと思ってます
ずっと続いていく海、真夏の日差しが降り注ぐ青い空。
目を閉じたら何も見えなくなってしまうけど、それでも日差しに照らされてキラキラと輝く渚が眩しく見えてるんですね
これって物理的なことなんかじゃなくて、目を閉じているとき、今まで彼女たちが過ごしてきた季節や景色を思い浮かべているからこそ、目を閉じてもキラキラ眩しいんだと思うんです
だから2人はこの夏の海が好きなんだ!と。
自分も夏の時期に沼津いって海の景色を見たことがあるからこそ、その“眩しさ”がわかるんですわ。
それに気づくと、この曲で最初に言っていた「派手じゃない」って言葉がより大きな意味へと昇華するんじゃないでしょうか。
ハワイのリゾートビーチとかだったら、目を閉じる云々以前にバチバチにド派手な感じしません?
客観的にみれば普通の海なのかもしれないけど、自分たちが小さい頃から思い出と共にみてきた景色に見た目以上の素晴らしさがあるからこそ、ほかのどこよりも一番な自慢の海なんだろうなって思うと、この曲ってすごくエモーショナルで強く感情が揺さぶられる。
感動じゃなくて共感っていう気持ちなのか、素晴らしく情緒的だ…
この感覚が好きな人にはものすごく刺さると思うなぁ
沼津、いきたくなるよね。
聴き方を変えれば映像のない曲でも景色も視えます
ぜひ2人の伝えたい地元”愛”を感じてみてほしい
今年の夏は、まだどうなるかわかんないけど
沼津、また行きたいね!!